救急車でGO!〜急病人は友人よ〜


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ワールドカップ・日本−クロアチア戦が行われた日、「ワールドカップを見るならみんなで見た方が楽しい」ということで、私はその日Iと二人でYやんの家に転がり込み、3人でテレビの前にかじりついて観戦をしていた。結果は知っての通り日本が負けてしまい、勝利の美酒にする予定だった酒をやけ酒(?)として飲み、この時間ではもう自宅には戻れないので、Iと共にYやんの家で1泊した後に家へと帰ることにした。

でその翌日……

翌朝、私はYやんの何か苦しんでいるような声で目が覚める。そして、ただならぬ気配を感じすぐさま起床した。続いてIも起床。Yやんは相変わらず苦しんでいるままだ。始めは救急車を呼ぶのも大げさかなという感じで「かかりつけの医者は10時からだし……」「タクシーで病院に行こうか?」などと比較的余裕のある話をしていたが、そのうち「ちょっと歩けそうにない」とYやんから弱気な発言が飛び出したのでこれはいかんと思い、救急車を呼ぶことにした。

そして今までしたことの無かった 119番へのTelをする。間もなく遠くの方よりサイレンが聞こえ、そして救急車が見えてきたので、外に出て手招きして呼び寄せようとしたが、近所の人達や、Yやん家の大家さんのおばあさんまでが何事かと顔を出してきてしまったので、思わず躊躇して目立たないように手招きしてしまった(意味無いだろ)。

救急車到着時にはYやんが小康状態を保っていたので、「折角来てもらったんだから、もう少し急病人らしくしていた方が……」とちょっと不謹慎なことを思う。それでもふらふらな状態のYやんを抱えるようにして隊員が救急車に運び、付き添いとして私、Yやん家待機要員としてIが残ることにした。ここまではスピーディーだったが、肝心の受け入れ先候補のS病院の対応がひどく、救急隊員が連絡するとさわやかな保留音を10分近く続かせた後一旦電話が切れてしまい、その後再び連絡を取ったら「受け入れる余地が無い」とぬかしやがった。らちがあかんと思ったらしい1人の隊員の方がその間に携帯電話でE病院に連絡を取り、とりあえずそこに運ばれることが決定。その間Yやんは腹痛が再発したらしく苦しみまくっており、隣で見ていた私ははらはらすると共に、「これじゃ一刻を争う病人だったら死んでるな」と感想を抱いていた。

受け入れ先が決まって出発。サイレンを鳴らして走るも、譲ってくれない車に遭遇してはサイレンを止め、大通りの前では赤信号で停止するなど、救急車としては意外にも慎重な運転でE病院に到着。Yやんは車椅子に乗せられて救急診察室に運ばれ、私はその間受付で手続きを済ませて、Iの待機するYやん家に1度目の電話を入れる。

救急隊員氏もYやんの処遇が決まるまでの間、待機していた。結局、ここでもうしばらく診察をした後、最終判断を下すと言うことになったようで、隊員は引き上げる。それからしばらくしてもYやんは救急診察室に入ったまま出てこないので、勢いで手術までしているのかとも思ったが(Yやんも手術用のライトが頭上にあったので、これからどうなるのか不安だったそうだ)、やがて点滴をつけたYやんが医療室から出てきた。一時使用のベットに寝かされ、私は「どうやら尿道結石らしい」との話をYやんより聞く。点滴を取り替える看護婦さんがおばさんだったので、Yやん・私が別々に、今患者と付き添いという立場をわきまえず「どうして若いお姉さんじゃないんだろう」と不謹慎なことを思う。

そしてすぐ、Yやんは精密検査のためにCTスキャン室へ連れられて行った。精密検査終了後再びベットへ戻ってきたので、それを見届けてから私は昼食に出かけようとしたが、再び激痛がぶり返したのか、Yやんが苦しみだしたので、「じゃあ、昼食行って来るから頑張ってね」と非人道的なことも言えず、かといって苦しみを分かち合うわけにもいかず、しばらく様子を見守っていた。やがて痛みが収まったのか、そのまま寝てしまった。その後、12時を過ぎてYやんに「昼食行っておいでよ」と言われたので、言われるまま病院内にあるレストランへと出かける。

昼食から戻ってきて少しするとお医者さんが登場。Yやんの輪切りの写真(CTスキャンの画像だ)を見せながら、診断の結果尿道結石(医者は「尿路結石」と言う)であること、入院するほどではないが腎臓に悪影響を及ぼしていることも考えられ、さらに超音波を使った検査をこれからすることを告げる。少しして医者は機材を持ってきて、Yやんの体に感知器を当てると、本体のモニターには白黒の画像が映し出される。医者の後ろで私も見ていると、モニターが見られない位置にいて疎外感を感じたのかYやんが「私にも見せて下さい」。3人でモニターを見つめる。腎臓の他、胆嚢などもサービス(!)で見せてもらった。肝心の腎臓は多少陰が出ており、明日改めて泌尿器科に診察に来るようにと告げられた。

入院の必要も特に無く、点滴が終了し次第今日は帰宅ということとなり、点滴が終了して帰宅の運びとなった。そしてその日の夜にはもう朝方に救急車で運ばれた事件が無かったかのように、その日に遊びに来たBも加え4人で夕食時にファミリーレストランに行き、いつものようにバカ騒ぎをしていたのであった。


2009年の補足説明

救急車での搬送の様子を赤裸々に綴り、併せて救急医療の問題点にも深く切り込んだドキュメント……のつもりだったのですが、改めて読み返してみると特に後半は救急車で運ばれた後の様子を珍しがってネタにしているとしか思えない内容ですね(笑)。

ただ、この時初めて「救急車って、来てくれたからといってすぐに病院に運んでくれるとは限らない。」と実感したのは事実で、「これじゃ一刻を争う病人だったら死んでるな」とか呑気に書いてますが、実際生死を争う状況に置かれながら病院をたらい回しされ結局亡くなってしまった方の話を聞くなど、状況は改善されるどころかますます悪化しているような印象を受けます。

なお、冒頭に出てくる日本対クロアチア戦というのは日本初出場の岡田監督の時のワールドカップのことで、かれこれ11年前の出来事になります。歳も取る訳だ(笑)、当時は初戦のアルゼンチン戦は負けてもまあ健闘、それだけにクロアチア戦に賭けていたけれど負けてがっくりで。この後比較的楽観視していたジャマイカ戦にも負けて全敗という結果に終わっていたのでした。

文中に出てくる友人3人は今となってはネットビューを果たしてそれぞれWebネームも持ちブログやMixiで活動中。当時はそれ以前だったので本名からアルファベットをつけました。


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