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……て言うか、実家の近所に1つあった(笑)。
ところで、何げに「廿五里」と書いてきたがさてなんと読む? 「ばかにしてもらっちゃあ困るなあ。『廿』の文字は確かにあんまり馴染みが無いけど漢和辞典で調べれば『にじゅう』『ジュウ』とか読みが書いてあるじゃん、どうせ『にじゅうごり』とかそんな読み方するんでしょ。」……と、全世界に発信するこのページを見た世界中の人(そんなに見てないか(笑))からすかさずつっこみが来そうだが、さて…… ↓ ↓ ↓ この地名「ついへいじ」と読むのだ。
……本当にこの漢字の読みなの? と聞き返さずにはいられない読み方である。今まで私が触れてきた難読地名(駅名)って、漢字の一つだけが難しいとか、一部分が変な読み方をするとか、読みが漢字に合って無くてもそれっぽい意味を表しているとかくらいなもので、とにかく一度聞いてしまうと「なるほど」と一応納得してしまう地名が多かったが、この地名の読みはどうもピンとこなかった。なんつーか漢字と読みが根本的に合っていないような気がして(笑)。
で、「ついへいじ」は本当に始めから「廿五里」の読みとして存在したのだろうか。なんか言葉の感じとしてお寺の名前のような気もしたのだが。この辺はいずれ機会があったら何とかして調べ出したいと妙にこだわり出してしまった私でした。 そして、地名の由来はいかに?(1999/08/24追記)まずはホームページの管理者よりも先にわざわざ図書館で調べて頂いた報告を、HP掲示板(当時の「みんなのDenGonBan」)の内容そのままに紹介すると…… ☆何か納得いかなかったので(^_^;)、調べてしまいました。☆えーと、「廿五里」とは「鎌倉から25里」を指す模様。でもって戦国、江戸期には津比地(つひじ)、津以比地(ついひじ)、露乾地(つゆひじ)とも記録されていることから、強引な読みの方はこっちからきているものと思われます。「津比地」の由来まではちょっと分かりませんでした。……(以下略) どうもありがとうございました。m(__)m 参考文献は「角川日本地名大辞典」とのこと。とりあえずこれで「廿五里(二十五里)」の漢字の由来と、「ついへいじ」の漢字は元々全く別に存在していたことは分かった。さらに詳しい資料を発掘すべく、夏休みのとある日に自転車をこいで(またか)市原市立図書館へと向かった。 市立図書館には市原市や千葉県に関する書籍・資料等をまとめた一角がある。その中から「廿五里の全て」……という都合のいい書籍はさすがに無かったので(笑)、これぞと思った書籍を片っ端から調べてみた。 その中の1つ、大正5年に市原郡役所が発行したものを復刻した千秋社の「市原郡誌」によれば、東海村二十五里(ふりがなは「ツヒヘイジ」)の地の説明として…… 上総町里博によれば、昔は「露乾地」と書き、また「津以比地」の文字も混用した。上総国誌稿によれば元禄郷帳では「津以比地」と書かれ、天保郷帳では今と同じ(二十五里)である。……という内容が書かれている(原文は文語体です)。 また、「市原市史・中巻」では江戸時代の村の名称についてまとめられている資料の記載があるのだが、その中では文禄3年(1594)は「廿五里村」、元禄15年(1702)になると「津以比地村」となり、天保5年(1834)はまた「廿五里村」に戻っている。とりあえず「露乾地(津比地)→津以比地→廿五里(二十五里)」のような変遷を経ており、特に「廿五里」になったのは江戸時代であったことが分かる。 さらに千葉県立中央図書館編の「千葉県地名変遷総覧」には、廿五里(ふりがなは「ツイヒヂ」)のさらに詳しい由来が書いてあった。但しこの書籍はどこもかしこも文語体で、お陰で高校以来10数年ぶりに古語辞典を引っぱり出して翻訳作業をする羽目になった。 細かいところで訳が間違っていそうな気もするが、おおむねこんな内容である。 「ついひち」に「二十五里」の文字とはあまりにもかけ離れすぎた文字の宛て方である。また「ついひち」は「つゆひち」とも言われ、「露乾地」と書くという説もある。この村には多くの沼や沢がある。古くからの言い伝えに寄れば、昔この地の東泉寺に置かれていた繍仏(仏像の一種?)がしばしば不思議な事を起こした。そして鎌倉の大臣がこれを非常に崇拝して、毎月焼香を行いに使者をこの寺に向かわせた。そういう事があってこの場所が鎌倉から25里の距離があったので、それが村名になった。……とまあ、こんな具合である。 しかし、続いてこんな事も書いてあるのだ。 鎌倉から25里という距離は正確ではない。もとより仏が不思議な事を起こしたというような話は昔からの言い伝えであって信じるようなものではなく、村名の由来も古くから言われている話に過ぎないものであるのだ。……うーむ。結局のところ、「廿五里」の文字が宛てられた確固たる理由は分からないという結論になってしまうが、少なくとも一番有力なのは「鎌倉から25里」説でその理由には上記のような言い伝えがあるという感じである。 それにしても、地名は奥が深いですねえ……。
2009年の補足事項「廿五里」という近所の難読地名だけでひとネタ書き上げたページでした。 あまりにも漢字と読みのかけ離れた地名が気になり現地への訪問や由来の調査までしてしまったのですが、当時の文章読み直してみて、この頃自分は若かった、などと自分で感心したりして(笑い)。大体今だったら気になる地名があっても図書館まで赴いて調べるなんてことはせずに、インターネットでちょっと検索して満足してしまうような気がします。 ちなみに今時のIMEは地名の漢字変換についてはばっちりのようで、廿五里も一発で変換されます。 |
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